どすこい文学

ねこが背中をよじ登る冬。わたしにはよじ登ってくれる、ねこすらいない。

「ねこすらいない」って字面がちょっと「どすこい」に似てるね。

「どすこい」って打とうとしたら候補にドストエフスキーがでたよ。

なるほどね。「どすこい」って意外に文学的なのだね。どすこい。

そんなこんなの冬の朝。わたしはこの文章のはじまりを「猫が背中をよじ登るふゆざむの朝」とぜひとも文学的な感じでしたためたいと思ったのだけれど、何とまあ驚いた。思い立って「ふゆざむ」という言葉を検索してみたら、そんな言葉なんてどうやらこの世にないみたいなのだよ。文学的なんていい気になってるばあいじゃない。

きょうまで幾度となく冬の寒い朝には「ふゆざむ、ふゆざむ、なまねこ、なまねこ」とお念仏のように唱えながら暖房のスイッチを押し続けてきたというのに。

ひどい、ひどすぎる。この世に「ふゆざむ」という言葉が本当に存在しないのだとしたら、これまでわたしが繰り返し唱えてきた「ふゆざむ、ふゆざむ」は一体何だったというのだろう。ああ、そうか。わたしは意味のないわけのわからないことを呟いている、ちょっと変な寂しい人だということか。

なんか悲しい。ぐすん。償ってほしい。償っておくれ。償っておくれ。

「償う」はっ!もしや・・・

一抹の不安に駆られわたしはまたもキーを打つ。

「償う まどう」

な、なんと「償う」は「つぐなう」であって、「償う」に「まどう」の読みが全然出てこない。

うそだうそだうそだ!宮沢賢治のお話で、なんかよくわからないねずみが「まどっておくれ、まどっておくれ」としつこく言っていたような記憶が確かにあるのだ。その時の漢字表記が確かに「償っておくれ」だったという記憶があるのだ。

わらにもすがる思いのわたしは、震える指でキーをたたく。

宮沢賢治 まどっておくれ」

ふふふ。ほらね。

案外「ふゆざむ」って言葉だってさ。